大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

山口地方裁判所 昭和30年(わ)11号 判決 1961年12月21日

被告人 枝村要作 外一七名

主文

被告人枝村要作を懲役二年に、

同山本二郎を懲役一年に、

同岩村幸夫を懲役四月に、

同森田正人を懲役三月に、

同斉藤志雄を懲役三月に、

同吉村金次を懲役三月に、

同清水喜重を懲役二月に、

同坂本貞義を懲役一月に、

同井本丈夫を懲役十月に、

同石川俊彦を懲役六月に、

同原田忠重を懲役四月に、

同高井作雄を懲役四月に、

同三戸正広を懲役四月に、

同賀屋章人を懲役四月に、

同与国貞治を懲役四月に、

処する。

但し本裁判確定の日から、被告人枝村要作、同山本二郎、同井本丈夫、同石川俊彦に対し、三年間、その余の被告人に対し、いずれも二年間、右各刑の執行を猶予する。

被告人須子繁、同福田正明、同富士井三吉は、いずれも無罪。

被告人枝村要作、同井本丈夫、同石川俊彦、同原田忠重、同高井作雄に対する、小郡駅構内宇部線ホームにある休養室に侵入した点(昭和三十年二月十三日付起訴状公訴事実第六のうち建造物侵入につき)については、同被告人等はいずれも無罪。

(訴訟費用の負担部分省略)

理由

(罪となるべき事実)

第一、(第三波厚狭駅東部信号所事件)

被告人枝村要作は、元日本国有鉄道(以下国鉄と略称す)職員であつて、国鉄労働組合広島地方本部の顧問でありかつ戦術委員長として同地方本部戦術委員会を統轄していたものであり、当時いずれも国鉄職員であつた、被告人山本二郎は同地方本部厚狭支部副執行委員長、同岩村幸夫は同支部書記長、同斉藤志雄および森田正人は同支部執行委員であり、かつそれぞれ昭和二十九年末闘争における同支部闘争委員であつたところ、賃金値上げおよび年末手当二ヶ月分支払等の要求貫徹を目的とするいわゆる公労協(公共企業体労働組合協議会の略称、以下同じ)年末闘争の一環として、国鉄労働組合が昭和二十九年十一月十七日より三日間実施を予定した第三波闘争に際し、前記厚狭支部戦術委員会においては、前記地方本部の闘争指令に基き、山口県厚狭郡厚狭町所在厚狭駅を闘争対象個所に指定し、いわゆる職場大会および順法闘争と呼称する闘争方法を実施し、列車の運転休止ないし遅延を生じさせて国鉄当局の業務遂行に大きな打撃を与える事を計画し、同月十八日、同支部所属の六分会よりそれぞれ選出動員されたピケ隊員約五十名によつて、同日午前中同駅構内の運転関係の職場において従事中の職員を、同駅職員養成所に集めて職場大会を開催し、午後にはいわゆる順法闘争を行つたが、これらの闘争が所期の目的を達し得なかつたところから、前記地方本部より派遣された闘争委員として、本闘争指導のため同日同支部に差し向けられていた、被告人枝村要作、および藤浦俊雄は、同日午後二時三十分頃より同駅構内前記厚狭支部において、被告人山本二郎、同岩村幸夫、同森田正人、同斉藤志雄外数名と共謀の上、さらに適切な手段による戦術転換に関し協議を重ねた結果、まず同駅々長に対し、当日職場大会に参加した同駅の出勤職員に対する賃金カツトをしない旨の要求などについて団体交渉を試み、被告人らの所期する回答を得られない時には、同駅東部信号所下にピケを張り、同支部闘争委員らにおいては同信号所二階信号室に侵入したうえ同所勤務の職員を信号室から強いて連れ出し、信号所の機能を停止させることにより列車の運行に遅延を招来させ、国鉄当局に重大なる打撃を与えようと企て、ここに被告人らは同駅々長との団体交渉を開始したが所期の回答を得られなかつたため、直ちにピケ隊五十名位を同信号所下に配置し、同日午後四時頃被告人山本二郎、同岩村幸夫、同斉藤志雄および同森田正人において、相い次いで同駅長岩崎幸一の管理する右東部信号所二階信号室内に侵入し、被告人枝村要作においては、其の頃右信号所付近に出向いて、同信号所勤務職員の引き出しにつき地上より合図をするなど事実上同所の闘争の指導に当り、右信号所室に侵入した右被告人山本らは、右信号室内において、同所に勤務中の見張信号掛国鉄職員岡村宇七信号掛兼操車掛同村谷清、同津富博人および転てつ手同河野敏夫の四名に対し、同人等の使用する電話機を右被告人等の支配下に収めて勤務員に使用させず、あるいは電気挺子の前に立ちふさがつて所定の操作を妨げ、または「お前らは下へ降りないとそびき降ろすぞ(引き降ろすの意)痛い目に合うてもよいか。」と申し向けかつ窓から下のピケ隊に向つて「信号所の者を降ろすから、五、六人上つて来い。」と呼び、もし勤務員らが信号室より離脱しない時はその身体に危害を加えるが如き気勢を示して脅迫するとともに、手腕を用いて同人らを押しまたは引張るなどの暴行を加え、同日午後四時五十三分頃右村谷清、河野敏夫および津富博人を右信号室より室外に引き出し、引き続いて前記ピケ隊に向かつて「ピケ三人上がつて来い。」と呼んで前同様岡村宇七の手腕をもつて同人を押しまた引張るなどの暴行を加え、同日午後四時五十八分頃前同様同人を室外に引き出したうえ、さらに右四名の腕をとらえたりあるいは突いたりなどして、いずれも前記厚狭支部事務所へ連行して、その信号機の操作を不能ならしめ、もつて前記岡村宇七外三名の公務の執行を妨害し

第二、(小郡駅北信号所事件)

被告人吉村金次は国鉄労働組合広島地方本部幡生工場支部副委員長、同清水喜重は同支部文教部長、同坂本貞義は同支部電気分会長であつたところ、賃金値上げおよび年末手当二ヶ月分各要求貫徹を目標とするいわゆる公労協年末闘争の一環として、昭和二十九年十二月九日山口県吉敷郡小郡町山陽本線小郡駅を対象として行われた、国鉄広島地方本部小郡支部の三割休暇闘争に際し、いずれも行動隊員として同闘争を応援するため、その前日同町におもむき、被告人吉村金次は、前記幡生工場支部の行動隊員約三十名の指揮統率者、被告人清水喜重は、被告人坂本貞義、同須子繁、同福田正明および同富士井三吉等行動隊員をもつて編成する行動班の班長として、かねて小郡支部行動隊において、本闘争本部の決定した同駅運転関係勤務者をその職場から同駅の構外へ連れ去り、列車運行を阻害すべき戦術に基く行動に参加し、同駅構内北信号所に勤務中の信号掛五名中一名を残し、他の四名を構外に連れ出す任務を受けるに至つたが、被告人吉村金次は同清水喜重、同坂本貞義と共謀のうえ、同月九日午前四時四十分頃前記信号所に勤務中の信号掛を連れ出す目的をもつて、吉村金次外数名の行動隊員において、同信号所の昇降階段を伝つて同所室内に故なく侵入し、

同日午前四時五十分頃、同駅勤務の国鉄職員転てつ手尾中幹男が同駅構内収容線七番に待機せる同日午前五時三十五分同駅発門司下り三二一列車を、ホーム客車二番線にけん引するべく、これに要する機関車を運転させる必要上、収容線六番のポイントを七番に切り替える職務を行わんとして、合図燈を携え前示北信号所室内から昇降階段を伝い信号所下に降り立つた際、同所のピケラインを張つていた被告人吉村金次等ならびに小郡班行動隊員等に対し、その職務遂行中であることを明らかにして通行を阻止しないよう求めたるところ、右行動隊員等は「仕事なんかどうでも良い、連れて行け。」と口々にいいながら右尾中の周囲を取り巻き、次いで被告人吉村金次、同清水喜重、同坂本貞義は外数名と共謀のうえ、右尾中の両腕を捕える等の暴行を加え、かつ同人の行動の自由を妨げるべくその周囲を取り巻き、もしポイント切替作業を遂行せんとするときはその身体に危害を加えるが如き気勢を示して脅迫し、もつて同人の前記公務の執行を妨害し

第三、(第五波小郡駅構内事件)

被告人枝村要作は、国鉄の元職員であつて、その当時国鉄労働組合広島地方本部顧問であり、その当時いずれも国鉄職員であつて、被告人井本丈夫は同本部執行委員、同石川俊彦は同組合小郡支部副執行委員長、同原田忠重、同高井作雄はいずれも同支部執行委員であり、昭和二十九年々末闘争において、被告人枝村要作は同本部戦術委員長として同地方本部戦術委員会を主宰せるもの、被告人井本丈夫は同本部闘争委員、被告人石川俊彦は同支部副闘争委員長、被告人原田忠重、同高井作雄は同支部闘争委員であつたところ、賃金値上げおよび年末手当二ヶ月分支払などの要求貫徹を目的とする、いわゆる公労協年末闘争の一環として、国鉄労働組合が昭和二十九年十二月七日および同月九日実施を予定した第五波闘争に際し、同年十一月三十日頃広島市において、被告人枝村要作外四名の同本部戦術委員が、戦術委員会を開催し協議した結果、中央闘争委員長柴谷要より指令第十一号に基き、その第二次闘争の場所として小郡駅を指定することを決定したうえ、翌十二月三日頃吉敷郡小郡町所在の小郡駅構内機械区食堂において、被告人枝村要作の要請により、その余の被告人らを交えて小郡支部闘争委員会を開催したが、その席上被告人枝村要作は同闘争の実施日を十二月九日とすること、目標は、小郡駅運転系統職員の三割休暇闘争の完全実施方策として、勤務時間交替時をねらつていわゆる職場大会と呼称する闘争方法を実施して、前示系統職員をこれに参加させ、列車の運転休止ないし遅延を生じさせて、国鉄当局の業務遂行に大きな打撃を与えること、その方策として、同月八日午后六時までに同本部所属十一支部から行動隊員(国鉄職員以下同じ)約七百名を召集すること、その準備として小郡支部役員たる被告人石川俊彦らが対象者である同駅構内勤務者の勤務、通勤、住所の実態調査をすることなどを主唱してこれを決定させ、これに従い同日より同月八日までの間被告人らは協力して右実態調査を遂げ、三割休暇闘争実施の具体的方策およびその実施推進につき分担責任者を決定し、九日の実施日に臨むこととなつたが、被告人枝村要作は常に鉄道当局側の対策進展状況を注視していたところ、九日午前零時過ぎになつて、前記の如く勤務交替時間をねらつての闘争では所期の成果を挙げることはできないと判断し、その頃より同三時頃までの間、前記小郡町所在小郡職員会館内応接室において、闘争方法実施の着手時刻の繰り上げ方につき、被告人井本丈夫外数名と更に戦術会議を開催し、目的達成のために一応同日午前五時と時刻の繰り上げを決定したが、さらにその後の状勢を判断した結果、被告人枝村要作は独断でこれを午前四時三十分と繰り上げ実施することに改めたうえ、被告人石川俊彦らに指示して同日午前四時過ぎ頃多数の行動隊員を同会館集合所内外に召集させ、被告人井本丈夫をして各班の任務の範囲、行動隊員の配分等を指示させ、その結果被告人石川俊彦においては、主として小郡駅構内二番ホーム所在の運転従事員詰所(俗に操車掛詰所)で現に勤務中の職員連れ出しの任務、被告人原田忠重においては、主として同ホーム所在の車号掛詰所で現に勤務中の職員を連れ出しおよびこれらの職員を同駅構内から他所に輸送確保の任務、被告人高井作雄においては、主として右連れ出しにかかる職員を同駅構内から同様他所に輸送確保すべき任務を各分担し、かつその部下行動隊員の配分を受け、被告人枝村要作を除くその余の被告人らは被告人枝村要作の前記指示にそれぞれ応じて、ここに被告人らは多数の行動隊員と共謀のうえ、小郡駅構内各建造物に侵入して、末だ勤務時間内にありかつ現にそれぞれ各部署の勤務に従事している多数の職員をしいて構外に連行して、爾後その任務の遂行を不能ならしめようと企て、

一、同月八日午前九時あるいは同日午後五時より翌九日午前九時までの間、小郡駅構内二番ホームに設けてある、運転従事員詰所(俗に操車掛詰所)に配置され、その間同駅構内において引き続き多数列車の組成、分解、入換えおよび機関車の誘導、切離し等の任務を相互有機的に担当して、同詰所に在つた国鉄職員操車掛松本利夫、同正司重徳、同中島唯男、同広瀬千之、同重村勇、同木原弘二、同野村秀朋、国鉄職員連結手川口昭夫、同粟屋速夫、同本田正宜、同入江功、同岩井清人、同室田裕啓、同吉武勝人、同落合長州男、同島本平男らをしてそれら従業中の勤務から、しいて離脱させるため同日午前四時三十分過ぎ頃、被告人石川俊彦において、上田実外多数の行動隊員を引率指揮して前記運転従事員詰所に不法に侵入のうえ、前記勤務員らに対し「起きてくれ。」「一寸出てくれ。」「そこまで来てくれ。」などと申し向け、あるいは無言のままそれら勤務員の手腕等を捕えて引き起し、両腕を取つて引き出し、あるいは肩などを押して突き出し、またはその周囲を取り巻き、これに反抗すれば如何なる危害をも加えかねないような気勢を示して、暴行脅迫を加えたうえ、同人らを同室より引き出し、これをそのまま同所から同駅東北第四鉄道寮付近まで連行し、ついで被告人原田忠重、同高井作雄らはそれぞれ多数の行動隊員を指揮して、右連れ出した勤務員らを同所より、しいて自動車に乗せ、吉敷郡大内村および山口市方面に連行してその任務に復帰させず、前記各職員の各職務執行を不能にし、もつて各公務の執行を妨害し、

二、同月八日午前九時より翌九時までの間小郡駅構内二番ホームに設けてある車号掛詰所に配置され、その間同駅構内において引き続き多数列車の点検、列車編成、入替え、組成計画およびこれに伴う各種報告書ならびに通知書作成等の任務を担当して、車号掛詰所に在つた国鉄職員車号掛岡本馨、同藤井寿雄、同金子公允、同田中豊一、同坪郷敏男、同斉藤和郎、近本勇をしてそれら従業中の勤務より、しいて離脱させるため同日午前四時三十分過ぎ頃被告人原田忠重において外数十名の行動隊員を引率指揮して、前記車号掛詰所に不法に侵入のうえ、前記勤務員等に対し「今から行動を起す、すぐ外に出てくれ。」と申し向け、あるいは無言のまま引き起して前後左右を取り巻き、これに反抗すれば如何なる危害を加えかねないような気勢を示し、あるいは両腕を取つて引き出しあるいは背後より突き出し、もしくは書類作成のために所持しているペンをもぎ取る等の暴行脅迫を加えて、同室より引き出し、これをそのまま、同所から同駅東北第四鉄道寮付近まで連行し、ついで被告人原田忠重、同高井作雄はそれぞれ多数の行動隊員を指揮して、田中豊一、坪郷敏男、近本勇を同所から、しいて自動車に乗せ、吉敷郡大内村および山口市方面に、また石川頼治外多数の行動隊員をして岡本馨、藤井寿雄、金子公允、斉藤和郎を同様しいて自動車に乗せ、防府市および山口市方面にそれぞれ連行してその任務に復帰させず、前記各職員の職務執行を不能にし、もつて各公務の執行を妨害し、

三、同月八日午前九時から翌九日午前九時までの間小郡駅構内客留線に配置され、その間引き続き同駅構内で多数列車の転線のためポイント転換作業を担当する任務を有していた国鉄職員尾中幹男(転てつ手)外数名の係員の在勤している北部信号所室内に被告人らにおいて、指示を与えていた数名の行動隊員をして同日午前四時四十分過ぎ頃不法に侵入させ、さらに同四時五十分頃前記尾中幹男が、下り三二一列車を転線させるためのポイント転換作業を行おうとして、合図燈を携え同信号所から降り立つた際、同所にあつた前記行動隊員らに対し、その職務遂行中であることを明らかにして通行を阻止しないよう求めたところ、右行動隊員らにおいて、右尾中幹男をしてその職務から強いて離脱させるため、「仕事なんかどうでもよい。」と言いながら、その両腕をとらえかつその周囲を取り囲みこれに反抗しその職務を遂行しようとするときは、その身体に危害を加えかねない気勢を示して脅迫し、被告人原田忠重、同高井作雄らはそれぞれ多数の行動隊員を指揮して右尾中幹男を自動車で、同郡大内村および山口市方面に連行してその任務に復帰させず、右尾中幹男の職務の執行を不能にし、もつてその公務の執行を妨害し、

四、同月八日午後五時から翌九日午前九時までの間小郡駅構内下り運転詰所に配置され、その間引き続き同駅構内において多数列車の組成、分解、入換え等の作業を分担執行すべき任務を有していた国鉄職員操車掛金子作一、国鉄職員連結手山城昌造、同豊田学、同松本節夫、同中谷修治のうち九日午前三時五十分頃から着手した下り九六五列車の組成、分解、入換を終り、次の下り三六七列車の到着(午前五時十五分着)を控えてその職務に従事中であつた右山城昌造、豊田学、松本節夫、中谷修治をしてそれら従事中の勤務より強いて離脱させるため、同詰所付近において、同日午前四時三十分過ぎ頃被告人枝村要作において平松稔宏外数十名の行動隊員を直接指揮して、それぞれ右四名に対し前後を取り囲みその両腕を捕える等の暴行脅迫を加え、さらに右詰所に不法に侵入のうえ、前記金子作一の両腕を取り屋外に引き出す等の暴行を加え、それぞれそのままその場より同駅変電区付近を通過して、鉄道用地外に連行させ、ついで被告人原田忠重、同高井作雄は、それぞれ多数の行動隊員を指揮して、吉敷郡小郡町所在、日本専売公社山口支局付近道路上から、しいて同人らを自動車に乗せ、同郡大内村および山口市方面に連行して、その任務に復帰させず、前記各職員の職務執行を不能にし、もつて各公務の執行を妨害し、

五、同月八日午前九時から翌九日午前九時までの間、小郡駅構内第二中部信号所に配置され、同所信号掛と協力して引き続き列車の運転(着発)を指揮する任務を有していた国鉄職員森田周蔵(運転掛助役)が同日午前四時四十五分過ぎ頃下り六一列車を受け終り、その発車(午前五時九分発)指揮を控えてその職務に従事中これが勤務よりしいて離脱させるため、同信号所付近において、同日午前四時五十分頃被告人枝村要作、同井本丈夫同石川俊彦等が、直接指示を与えていた津田登外数十名の行動隊員をして、その周囲を取り囲み、さらに「組合に協力せよ」と申し向け、これを拒否する同人の両腕を捕え、前後を取り囲み、これに反抗すれば、如何なる危害を加えかねない気勢を示して、暴行脅迫し、そのまま同所から継電器室付近を通過して鉄道用地外に連行させ、ついで被告人原田忠重、同高井作雄等は、それぞれ多数の行動隊員を指揮して、吉敷郡小郡町所在、日本専売公社山口支局付近道路上から、しいて自動車に乗せ、同郡大内村および山口市方面に連行して、その任務に復帰させず、前記森田周蔵の職務の執行を不能にし、もつてその公務の執行を妨害し、

六、同月八日午前九時から翌九日午前九時までの間、小郡駅構内宇部線に配置され、引き続き同駅構内において、多数列車(電車を含む)の転線のためのポイント転換作業を担当する任務を有する、国鉄職員山下武一(転てつ手)が同日午前五時五十分の電車転線のための作業を控えて、宇部線ホームに在る休養室において待機中、その勤務よりしいて離脱させるため、同日午前四時三十分過ぎ頃、被告人石川俊彦において、吉本英美外十数名の行動隊員を指揮して右山下武一に対し、あるいは窓から手を引張り、あるいは出入口を足げりにして開扉を迫り、同人が止むなく開扉するや、室外から、同人の腕を取つて戸外に引き出し、直ちに両腕を捕え、周囲を取り巻く等の暴行を加え、そのまま同所から同駅構外に連行し、ついで石川頼治外多数の行動隊員をして、吉敷郡小郡町所在中国電力株式会社小郡寮付近道路上より、しいて自動車に乗せ、防府市および山口市方面に連行してその任務に復帰させず、前記山下武一の職務執行を不能にし、もつてその公務の執行を妨害し、

七、同月八日午前九時から翌九日午前九時までの間小郡駅構内に在つて、上り誘導一番勤務として引き続き多数機関車の誘導の任務を有していた国鉄職員三輪好男(操車掛)が下り九六五列車の機関車誘導のため、同日午前四時三十分過ぎ頃小郡機関区西側約五〇メートルの同駅構内線路上において、同機関区より進発の機関車を受けるため待機していたとき、同人に対し、その勤務よりしいて離脱させるため、被告人らにおいて指示を与えていた外数十名の行動隊員をして、突然その後から両腕を取り「一寸こい。」と申し向け、さらに前後を取り囲み、これに反抗すれば如何なる危害を加えかねない気勢を示して、暴行、脅迫を加え、そのまま同所から同駅東北第四鉄道寮付近まで連行し、ついで石川頼治外多数の行動隊員をして、右三輪好男を同所よりしいて自動車に乗せ、防府市山口市方面に連行してその任務に復帰させず、右三輪好男の職務執行を不能にし、もつてその公務の執行を妨害し

八、同月八日午前九時から翌九日午前九時までの間、小郡駅構内に在つて、下り誘導二番勤務として引き続き多数機関車の誘導任務を有していた国鉄職員河村敏夫(操車掛)が、上り三六二列車の機関車誘導のため、同日午前四時三十分過ぎ頃、同駅北部信号所東側約五〇メートルの構内線路上において、同信号所掛員と燈火信号による連絡をしていたとき、同人をして右従業中の勤務から、しいて離脱させるため、被告人らにおいて指示を与えていた外十数名の行動隊員をして、右河村敏夫に対し、突然「こつちに来てくれ。」と申し向け、かつその周囲を取り囲み、これに反抗すれば如何なる危害を加えかねない気勢を示して脅迫し、そのまま同所から同駅東北第四鉄道寮付近まで連行させ、ついで被告人原田忠重、同高井作雄等はそれぞれ多数の行動隊員を指揮して同所から右河村敏夫を、しいて自動車に乗せ吉敷郡大内村および山口市方面に連行してその任務に復帰させず、同人の職務執行を不能にし、もつてその公務の執行を妨害し、

第四、(厚狭駅西部信号所事件)

被告人枝村要作は、国鉄の元職員であつて、国鉄労組広島地方本部厚狭支部執行委員長であり、被告人山本二郎は、国鉄職員(休職中)であつて同支部書記長であつたところ、昭和三十二年七月十六日同支部が右地方本部の指令により実施した国鉄労組処分反対闘争に際し、国鉄山陽本線厚狭駅西部挺子扱所(通称西部信号所)に勤務中の信号掛職員をいわゆる職場大会に参加させるためと称し、強引に同所から連れ出して、列車の運転休止ないし遅延を生じさせて、国鉄当局の業務遂行に打撃を与えることを企図し、右闘争のため動員された行動隊員十数名と共謀のうえ、同日午前四時五十分頃右行動隊員十数名を引率して山口県厚狭郡山陽町厚狭所在右厚狭駅構内の右西部挺子扱所に至り、同駅駅長重岡喜三の管理する同挺子扱所内に右行動隊員らとともに故なく侵入し、同所において信号所掛員として転てつ機を転換して列車の進路を構成しかつ信号を現示するなどの職務を執行中の国鉄職員野村清次、同西田勝、同田辺忠良、同大賀操の、それぞれ両腕をとらえて引つ張り、かつ背後から押す、突くなどの暴行を加え、同所から約百メートル離れた国鉄厚狭診療所前まで強引に連行し、同人らの背後を押して小型タクシー二台にしいて乗車させたうえ、同町大字梶所在六州望見楼こと菅原旅館に連行し、右挺子扱所信号機ならびに転てつ機の挺子の操作を不能にし、もつて前記野村清次外三名の公務の執行を妨害し

第五、(厚狭駅東部信号所事件)

被告人三戸正広は国鉄の元職員であつて、国鉄労組広島地方本部厚狭支部執行委員であつたところ、昭和三十二年七月十六日同支部が右地方本部の指令により実施した国鉄労組処分反対闘争に際し、国鉄山陽本線厚狭駅東部挺子扱所(通称東部信号所)に勤務中の信号掛職員を、いわゆる職場大会に参加させるためと称し、強引に同所から連れ出して列車の運転休止ないし遅延を生じさせて、国鉄当局の業務遂行に打撃を与えることを企図し、右闘争のため動員された行動隊員十数名と共謀のうえ、同日午前四時五十分頃右行動隊員を引率して、山口県厚狭郡山陽町厚狭所在右厚狭駅構内の東部挺子扱所に至り、同駅々長重岡喜三の管理する同挺子扱所に、右行動隊員らとともに故なく侵入し、同所において信号掛職員として、転てつ機を転換して列車進路を構成し、かつ信号を現示するなどの職務を執行中の国鉄職員幡生憲二、同中繁郷輔、同原田唯史、同小沢美治の四名の、それぞれ両腕をとらえて引つ張り、かつ背後から押して暴行を加え、同挺子扱所から約二百メートル離れた同町厚狭字広瀬所在の鉄道踏切り付近まで強引に連れ出し、それぞれ同人らの手を引つ張りまたは背後から押して小型タクシー二台にしいて乗車させたうえ、同町大字梶所在六州望見楼こと菅原旅館に連行し、右挺子扱所の信号機ならびに転てつ機の挺子の操作を不能にし、もつて前記幡生憲二外三名の公務の執行を妨害し

第六、(小郡駅構内事件)

被告人賀屋章人、同与国貞治は、いずれも国鉄職員であつて、被告人賀屋章人は国鉄労組広島地方本部小郡支部執行委員を、同与国貞治は昭和三十二年四月から同年八月まで同支部闘争委員を、それぞれしていたものであるが、同年七月十七日国鉄山陽本線小郡駅において行われた国鉄労組処分反対闘争に際し、同駅に勤務中の職員を、いわゆる職場大会に参加させるためと称し、その勤務場所から強引に連れ出さんことを企て、同日午前十時二十五分頃山口県吉敷郡小郡町所在の右小郡駅改札室におもむき、外数名の行動隊員と共謀のうえ、同室で運賃精算事務をとつていた、同駅乗客掛主任石川正夫(当四十六年)の、右腕を被告人賀屋章人において、左腕を同与国において、それぞれ抱きかかえ、他の行動隊員らにおいて、右石川の背後から押すなどの暴行を加えて、同人を同室から約二百メートル離れた職場大会々場である元電力区建物手前付近まで連行し、よつて同人の公務の執行を妨害し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人らの判示所為中、第一、第二、第三の一ないし四、第四、第五のうち、建造物侵入の点は各刑法第百三十条、第六十条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、公務執行妨害の点は各刑法第九十五条第一項、第六十条に、第三の五、ないし八、第六の公務執行妨害の点は、各同法第九十五条第一項、第六十条に、それぞれあたるところ、第一、第三の一、二、四、第四、第五の公務執行妨害については、各判示の公務員毎に一罪が成立するが、各判示事実毎に、それぞれ共謀に基く共同の行為であつて、一個の行為にして数個の罪名にふれる場合にあたるから、同法第五十四条第一項前段、第十条により、それぞれ犯情最も重い第一については岡村宇七に、第三の一については松本利夫に、第三の二、については斎藤和郎に、第三の四、については金子作一に、第四については野村清次に、第五については幡生憲二に、それぞれ関する各公務執行妨害罪の刑をもつて処断すべく、以上各罪につき所定刑中いずれも懲役刑を選択し、被告人賀屋章人、同与国貞治を除くその余の被告人の右各罪は、同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条、第十条により、それぞれ犯情の最も重い、被告人枝村要作、同井本丈夫、同石川俊彦、同原田忠重、同高井作雄については松本利夫に、被告人山本二郎、同岩村幸夫、同森田正人、同斎藤志雄については岡村宇七に、被告人吉村金次、同清水喜重、同坂本貞義については第二の尾中幹男に、被告人三戸正広については幡生憲二に、それぞれ関する各公務執行妨害罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内において、被告人賀屋章人、同与国貞治については所定刑期範囲内において、被告人らを各主文掲記の刑に処し、情状いずれも刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法第二十五条第一項により、本裁判確定の日から、被告人枝村要作、同山本二郎、同井本丈夫、同石川俊彦に対し三年間、その余の被告人に対しいずれも二年間、右各刑の執行を猶予し、訴訟費用の負担については、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文、第百八十二条を適用して主文掲記のとおり、それぞれ被告人に負担させることとする。

(弁護人の主張に対する判断)

第一、弁護人は公共企業体等労働関係法(以下単に公労法と称する。)

第十七条第一項の争議行為禁止条項が、憲法第二十八条に違反し無効であるから、本件被告人らの行つた、国鉄労組の本件闘争等は違法ではないと主張している。

ところで公労法第十七条第一項に違反して争議行為等が行われたからといつて、刑事上処罰されることがないことは、同法第十八条が、争議禁止の効果としてその職員の解雇を規定するに止まり、処罰規定を設けていないことから明らかである。しかしながら争議行為等における、具体的所為が刑罰法規の構成要件に該当し、かつ法律秩序に違反する場合には、争議禁止の有無にかかわらず処罰されることがあるのはいうまでもないことである。(当裁判所は公労法第十七条は合憲有効と考える。その理由は最高裁判所昭和三十年六月二十二日判決、最高裁判所刑事判例集九巻八号千百八十九頁参照)したがつて、弁護人主張のように当然に本件国鉄労組の闘争行為がすべて違法性を阻却されるものと解することの出来ないのは当然のことである。弁護人のこの点に関する主張は理由がないと考える。

第二、次に弁護人は、本件被告人らの行つた国鉄労組の本件闘争行為等は、公労法第十七条第一項に違反する争議行為ではあるが、なお労働組合法(以下単に労組法と称する。)第一条第二項の規定に従い、刑事免責の適用があり、本件各公訴事実につき、違法性が阻却されると主張する。

しかしながら、弁護人の主張するとおり、かりに公労法の禁止する争議行為についても労組法の規定する刑事免責の適用があり、このような禁止規定がなければ、正当な争議行為として認定される限り、行為の違法性が阻却されるものと解するとしても、本件有罪と認定した関係被告人らの所為は、いずれもその正当性の限界を超えて、判示の各犯罪を構成するものであつて、刑事免責の適用を受ける余地はなく、弁護人の右主張は採用のかぎりではない。(なお当裁判所は、公労法の争議禁止に拘らず、労組法上の刑事免責の適用ありと考える。その理由は札幌高等裁判所函館支部昭和三十六年二月二十一日判決、高等裁判所判例集第十四巻第一号三十二頁参照)

第三、さらに弁護人は、国鉄の業務は、刑法第九十五条の保護法益たる「公務」にあたらないとし、日本国有鉄道法(以下単に国鉄法と称する。)第三十四条第一項の規定の趣旨は、他の同種類似の立法例に照らし、解釈上、収賄罪のような公務員を犯罪の主体とする場合にのみ適用されるものであり、公務執行妨害罪の如き公務員を犯罪行為の客体とする場合にはその適用がないものと解すべきであつて、すなわち、単に国鉄という事業の公共性の故に、その役員、職員に対し、職務の清廉性を義務づけたものに過ぎず、国鉄の役職員に対する第三者の侵害行為が処罰されることを示したものではない。したがつて、国鉄の役職員に対しては公務執行妨害罪は成立せず、本件各被告人に対する各公務執行妨害の点は無罪であると主張する。

しかし、国鉄法第三十四条第一項の規定は、文言上何らその様な制限を付して居らないし、理論上も弁護人主張のとおり、制限的に解釈すべき論拠に乏しいのみならず、むしろ国鉄業務が極めて高度の公共性を有する点に鑑みるときは、国鉄の役、職員について、公務員と同一の責任を負担させると共に、その職務執行に当つては公務員と同一の保護を与える趣旨であると解するのが相当であつて、国鉄の役、職員の職務執行に対し、暴行あるいは脅迫がなされたときは、公務執行妨害罪が成立する場合があるものと言うべきである。(最高裁判所昭和三十二年六月二十七日判決最高裁判所刑事判例集十一巻六号千七百四十三頁参照)したがつて、弁護人のこの点に関する主張は理由がなく、採用することはできない。

第四、弁護人は、被告人らは国鉄の施設に立ち入るについて、看守者の包括的承諾を受けている。その理由として、まず被告人らは国鉄の職員であり、国鉄の所有または占有する土地、建物に対して、占有補助者たる立場を認められており、この地位は当局と組合が紛争状態にあるときでも失われるものではない。すなわち被告人らが国鉄当局から交付されている身分証明書は、その採用時において、その者の退職に至るまで、国鉄の施設の占有補助者たることを包括的に承諾したものである。さらに公労法の規定により、国鉄職員は労働組合活動の自由が保障され、承認されており、国鉄労働組合の各級機関が組合員と交通するため、その場に立ち入る自由の保障は、労使関係の動揺を超越して、一貫して持続しているものというべく、したがつて、本件各被告人に対する公訴事実中建造物侵入の点は、罪とならない旨主張する。

しかしながら、第一に、国鉄職員が国鉄の施設の占有補助者たる地位を認められるのは、その職員が勤務する特定の職場においてのみであつて、このような限定なく国鉄職員であるというだけで国鉄の施設全般につき、その占有補助者たる地位が認められるわけでないことは当然であり、また国鉄労働組合の組合員が、組合活動のため国鉄用地あるいは建造物内に立ち入る自由が保障されているからといつても、闘争に際し、勤務中の職員を連れ出し職場を離脱させる目的で、国鉄の施設たる信号所や運転従事員詰所に立ち入る行為は、列車運行業務に重大な支障を来たすものであるから、たとえ日頃立ち入りの許容されている施設に対してさえも、管理者において立ち入りを許容する筈がなく、その意思に反するものであることは明らかであり、被告人らにおいても、この点についての認識がなかつたとはいえず、具体的な事例において施設管理者の承諾があつたかどうかは別問題として、弁護人主張のように、一般的抽象的に施設立ち入りの包括的事前の承諾があつたと認められないのであつて、弁護人の前示主張も理由がなく採用しがたい。

(無罪の理由)

第一(小郡駅北信号所事件)

一、(建造物侵入)被告人吉村金次外五名に対する建造物侵入被告事件(昭和二十九年十二月二十九日付起訴状公訴事実第一)の公訴事実は、

被告人吉村金次、同清水喜重、同坂本貞義、同須子繁、同福田正明同富士井三吉は他の二十数名と共謀の上、昭和二十九年十二月九日午前四時四十分頃小郡駅本屋プラツトホームと同駅本屋より東方約三百メートルを距てゝ設けられたる同駅機関車との中間に位し、同地域の北側より山口線南側より山陽本線が同駅に分合接着する両軌条の内側にして、ポイント等操車施設の備えあり係員以外の出入を禁止してある鉄道の枢要区域の中心に設けてある、同駅北信号所下同駅構内に不法に侵入し、被告人吉村金次は卒先同所の昇降階段を伝つて同信号所室内に故なく侵入したるため、かねて同室内に警備中の鉄道公安職員倉本石之助外三名により室外退出を命ぜられ、次いで同駅々長より数回にわたり拡声機等により、許可なくして同駅構内に侵入せる行動隊員は速かに構外に退去すべく命ぜられたるに拘らず、いずれも同日午前六時五十分頃まで退去せず、

というのである。

そこで被告人らに対する小郡駅構内侵入および北信号所室内侵入、ならびに右侵入後不退去の点について、以下その場合を分けて検討を加える。

(一) 小郡駅北信号所下同駅構内侵入について、

前記公訴事実中、被告人ら六名が共謀して、小郡駅北信号所下同駅構内に不法に侵入したとの点について、以下検討する。

たとえ建造物の敷地であつても、その建造物の附属地として、門塀を設け、外部との交通を制限し、守衛警備員を置き、外来者がみだりに出入することを禁止している場所は、これを刑法第百三十条にいわゆる人の看守する建造物に包含されるものと解されている(最高裁判所昭和二十五年九月二十七日判決刑事判例集四巻九号千七百八十三頁参照)のであるが、小郡駅北信号所下の地域である、同信号所敷地が建造物の附属地として、いわゆる人の看守する建造物にあたるかどうかについて考える。

検察官作成の昭和三十年一月七日付実況見分調書の記載によると、同小郡駅北信号所は小郡駅構内の一部分を占有して設置されているが、同信号所の建物敷地付近について、囲障をめぐらして外部との交通を制限するような特別の設備はないことが認められる。したがつて特に同信号所下の建物敷地だけを人の看守する建造物であるとして、建造物侵入罪の対象とするわけにはいかないのである。

そこで同信号所を包含する小郡駅構内全体を包括して、工場や事務所敷地と同様に、人の看守する建造物ということができるかどうかについて検討する。前示検察官作成の実況見分調書と裁判所の検証調書(昭和三十年三月十七日付)によれば、小郡駅構内の大部分は国鉄の本線または入替線等の専用軌道で占められ、用地の北西部一帯に駅本屋、従業員詰所、各種事務室、公舎その他の建造物が配置され、駅本屋に接続してホーム、陸橋が設けられ、ホームの上あるいは用地上の各所に運転本部、操車掛室、車号室等の運転関係の従事員詰所、あるいは信号所、機関庫その他の建造物が設置され、用地の南東部は駅構外の水田に接し、その境界線は柵、塀などの囲障はなく、また用地の北東部および南西部は、右用地をほぼ南北に走る山陽本線、山口線、宇部線の専用軌道となつているため、外部との交通を制限するような囲障その他設備がないことなどが認められる。小郡駅構内がこのような状況にあるとするならば、たとえ外部の交通が制限され、一般公衆は乗車券、入場券をもつて出入りすべきことになつており、外来者はみだりに出入することを禁止されているとしても、いまだ人の看守する建造物であるということはできない。

以上いずれによるも、小郡駅北信号所の敷地に侵入した事実をもつては、軽犯罪法あるいは鉄道営業法の規定により、処罰されることあるは格別、刑法第百三十条所定の建造物侵入罪は構成せず、罪とならないのである。

(二) 小郡駅北信号所室内侵入について、

前記公訴事実中、被告人ら六名が共謀のうえ、被告人吉村金次において、小郡駅北信号所室内に故なく侵入した点については、判示事実第二において認定したとおり、被告人吉村金次外数名の行動隊員が同信号所室内に侵入した事実および被告人清水喜重、同坂本貞義が被告人吉村金次と同信号所室内侵入について共謀した事実は明らかであるが、その余の被告人ら三名が右侵入について共謀をした事実は、これを認めるに足る証拠はないのである。すなわち被告人吉村金次は、同月九日午前四時頃小郡駅職員会館大広間において、被告人井本丈夫から、北信号所に行き同所の信号掛五名のうち一名を残して四名を連れ出すべき指示を受けたこと、(被告人吉村金次の検察官に対する第一三回供述調書の記載)そして被告人吉村金次は、その指揮する幡生工場支部の行動隊員ら約五十名を引率指揮して、同信号所に行く途中機関区のあたりで、被告人清水喜重に対し、これから北信号所にはいり同所に勤務中の信号掛を説得して降ろすから、清水班はその信号掛を機関区裏に待機している自動車のところまで連れて行つてくれという趣旨の指示をしたこと、被告人坂本貞義は、同信号所に行く直前、小郡の支部(職員会館)か、機関区の分会事務所かのどちらかで、清水被告人から、行動隊員らが、同信号所に行つて説得して降ろした信号掛を、連行するのが清水班の任務であることをきいたうえ、清水被告人らと行動を共にしていたこと(前記吉村被告人の供述調書、第三十七回公判調書中清水、坂本被告人の各供述、の各記載)が認められ、吉村、清水、坂本の三被告人の間において、同信号所に立ち入ることについて、あらかじめ順次の共謀があつたことが認められるのであるが、その他の被告人三名については、北信号所において勤務中の信号掛を連れ出すことにつき、あらかじめ具体的に知らされていたとする証拠は見あたらないのである。もつとも、被告人らの検察官に対する供述調書中、行動隊として参加したのであるから勤務員を連れ出す位のことは漠然とは認識していた旨の記載(被告人須子(第一回)同富士井(第一回)の検察官に対する各供述調書)はあるが、いまだこれをもつて、具体的な信号所侵入に対する共謀の存在を認定することはできないものというべきである。そうすると吉村、清水、坂本三被告人を除くその他の被告人すなわち、被告人須子繁、同福田正明、同富士井三吉に対する右建造物侵入の点は、結局犯罪の証明がないことに帰する。

(三) 小郡駅構内侵入および北信号所室内侵入後の不退去について、

まず、被告人ら六名共謀のうえ、小郡駅北信号所下付近の同駅構内に侵入したのち、同駅々長から数回にわたり同駅構外に退去するよう命ぜられたにもかかわらず、いずれも同日午前六時五十分頃まで退去しなかつたという点について考える。

前記(一)において説示したとおり、右小郡駅構内が、いわゆる人の看守する建造物にあたらないのであるから、同駅構内に立ち入つたのち退去命令を受けて退去しなかつたからといつて、刑法上の不退去罪が成立することのないことは明らかである。

次に、被告人ら六名共謀のうえ、被告人吉村金次外数名の行動隊員において、前記北信号所室内に侵入したのち、同所に警備中の鉄道公安職員倉本石之助外三名から、室外退去を命ぜられたにもかかわらず退去しなかつたという点について考える。

ところで、建造物侵入罪は故なく建造物に侵入した場合に成立し、退去するまで継続する犯罪であつて、同罪の成立する以上退去しない場合においても不退去罪は成立しないものと解すべきところ、(最高裁判所昭和三十一年八月二十二日判決刑事判例集十巻八号千二百三十七頁参照)判示事実第二において認定したとおり、被告人吉村金次らが右信号所室内に侵入した点につき、建造物侵入罪が成立するのであるから、右侵入後退去しなかつたからといつて、さらに不退去罪の成立する余地のないことは明らかである。

以上いずれにしても、本件公訴事実中の不退去罪は成立しないものである。

以上説示したとおり、被告人須子繁、同福田正明、同富士井三吉に対する、本件建造物侵入の点は、罪とならないときおよび犯罪の証明がないときにあたるので、無罪の言渡しをする。なお被告人吉村金次、同清水喜重、同坂本貞義に対する前示小郡駅構内侵入、同不退去および北信号所室内立ち入り後の不退去の点は、いずれも罪とならないのであるが、これらの事実は同人らに対する判示第二の建造物侵入罪と包括一罪の関係にあるから、特に主文において無罪の言渡しをしない。

二、(公務執行妨害)被告人吉村金次外五名に対する公務執行妨害被告事件(昭和二十九年十二月二十九日付起訴状公訴事実第二)の公訴事実は、

被告人吉村金次、同清水喜重、同坂本貞義、同須子繁、同福田正明、同富士井三吉は外数名と共謀のうえ、昭和二十九年十二月九日午前四時五十分頃、小郡駅勤務の国鉄職員転てつ手尾中幹男が同駅構内七番に待機せる同日午前五時三十五分同駅発門司行下り三二一列車を、ホーム客車二番線にけん引するため、これに要する機関車を運転させる必要上収容線六番のポイントを七番に切り替える職務を行わんとして、合図燈を携え同駅北信号所を降り立つた際、同所にピケラインを張つていた被告人らに対し、その職務遂行中であることを明らかにして、その通行を阻止しないよう求めたところ、右被告人らおよび他の数名の者は「仕事なんかどうでもよい、連れて行け。」と口口に言いながら、同人の両腕を捕える等の暴行をなし、かつ同人の行動の自由を妨げるべく、その周囲を取り巻き、若しポイント切替え作業を遂行せんとするときは、その身体に危害を加えるが如き気勢を示して脅迫し、同人をその場から構外に連れ行き、よつて前記下り三二一列車を約二十分遅延させ、もつて公務員たる同人の前記職務の執行を妨害した、

というのである。

右公訴事実中被告人吉村金次、同清水喜重、同坂本貞義が共謀のうえ、公訴事実記載の日時場所において、同記載の職務執行中の転てつ手尾中幹男を連れ出した公務執行妨害の点は、判示第二事実において認定したとおり、この認定に供した諸証拠によつて認められるのである。すなわち、吉村、清水、坂本の各被告人の間においては、順次同信号所掛員連れ出しに関する事前の意思の連絡があり、かつ吉村被告人の指示に従い、清水被告人は、その指揮する清水班の一員である坂本被告人らと共同して、具体的には清水被告人が前記尾中転てつ手の左腕をとり、坂本被告人が右尾中の右腕をとつて、同人を連行したことが認められる(吉村(第一、二回)、清水(第一、二回)、坂本(第一回)各被告人の検察官に対する各供述調書の記載)。ところが、被告人須子、同福田、同富士井については、まず本件闘争の目的たる北信号所掛員の連れ出しに関する事前における意思の連絡があつたことを認めるに足る証拠がないのである。もつとも、右被告人らの検察官に対する供述調書中、行動隊員として参加したのだから勤務員を連れ出す位のことは漠然とは認識していた旨の記載(須子(第一回)、富士井(第一回)各被告人の検察官に対する各供述調書)はあるが、これをもつて本件公務執行に対する、右被告人らの間に共謀があつたと認めることはできない。次に須子、福田、富士井の各被告人が、右尾中連行当時において、清水、坂本被告人らと犯行現場における、共謀ないし共同行為があつたかどうかについて検討する。須子被告人は南信号所に一時応援に行き、北信号所に帰つたところ、清水班の者集れというので行つてみると、そこにカンテラをさげた男(右尾中)がおり、清水被告人から右尾中を自動車のところまで連れて行くことを告げられたので、その後をついて歩いて行つた(須子被告人の第一回検察官に対する供述調書の記載)こと。福田被告人は北信号所付近にいると、同信号所から合図燈を持つた職員(右尾中)が降りてきたところを四、五人の男が囲み、清水班と呼ばれてそこに行き、その職員(右尾中)を富士井を先頭に清水、坂本、福田の各被告人で囲むような形で本部に連れて行つた(福田被告人の検察官に対する第二回供述調書の記載)こと。次に富士井被告人は、坂本被告人らしい人に呼ばれて走つて行き、清水、福田、須子、坂本の各被告人が合図燈を持つた男(右尾中)を連れて、機関区の方に向つて歩いて行くのに追い付いたところ、行動隊員の一人から、清水班に対し、機関区の向うの寮に行くように言つているのをきいて、道案内をしようと思い、清水被告人の左側を歩いて行つたが、その男が合図燈を持つていたので国鉄職員だとはおもつた(富士井被告人の検察官に対する第一回供述調書の記載)こと。以上の状況から、須子被告人ら三名の行動を単に客観的にのみみれば、清水、坂本被告人らの本件犯行に加担し、これを補助したかのような外観を呈しているけれども、反面須子被告人らが事態をどのように認識していたかの点から仔細に検討を加えるときは、同被告人らにおいて、本件犯行に加担し、右尾中の公務執行を妨害しようとする意思があつたとの点についてはこれを否定せざるを得ない。すなわち、須子被告人ら三名は、国鉄労組広島地方本部幡生工場支部の組合員であるが、本件闘争支援のため、行動隊として小郡駅に派遣され、清水班に所属して清水被告人の指揮下にあり、本件闘争に際しては、常に消極的態度に終始しており、右尾中連行の際にも清水被告人に追従して行つたに過ぎず、清水班の者集れという指示を受けて清水被告人と右尾中のいる地点に行つたときには、すでに他の行動隊員の右尾中に対して行つた説得ないし脅迫的言動は終了していた(須子被告人ら三名の第三十七回公判調書中各供述部分の各記載)こと。須子被告人ら三名が右尾中のいた地点に到着する少し前に、他の行動隊員から清水被告人らに格好をつけるようとの指示があり、清水被告人は形だけでもいいからやらうかと言つて、清水、坂本両被告人が右尾中の腕をとつたが、そのとき、須子、福田両被告人は少し離れてこれを目撃し、福田、富士井被告人はその腕を組む状況をみていないし、清水被告人らはその尾中の腕を少し行つて離した(須子被告人ら三名の前記公判調書中の供述部分、福田(第二回)、須子(第四回)、富士井(第一回)各被告人の検察官に対する供述調書の各記載)こと。一方連行された右尾中は、清水、坂本両被告人に腕をとられながら、離して呉れともいわず、右腕を離した後も素直に被告人らと行動を共にし、特に逃げようとすることはなかつた(第四回公判調書中証人尾中幹男の供述部分、福田被告人の検察官に対する供述調書の各記載)ことなどの諸事情を基礎として考察すると、須子被告人ら三名において、右尾中を強制的に連行しているという認識があつたとは認め難い。同被告人らの検察官に対する供述調書中(須子(第四回)福田(第三回))右尾中が自ら進んでついてきたとは思わなかつた旨、未必的な犯意を認める供述をしているが、供述の仕方やその内容、同被告人らの公判廷における供述との対比などから、直ちに信用することは出来ず、他に同被告人ら三名において、本件公務執行妨害の意思があつたことを認めるに足る証拠はなく、結局被告人須子繁、同福田正明、同富士井三吉に対する本件公訴事実について、犯罪の証明がないことに帰するので同被告人らに対し無罪の言渡しをする次第である。

第二、(第五波小郡駅構内事件)

一、(建造物侵入)被告人枝村要作、同井本丈夫、同石川俊彦、同原田忠重、同高井作雄に対する昭和三十年二月十三日付起訴状公訴事実第六のうち、建造物侵入の点に関する公訴事実の要旨は、

被告人らは多数の行動隊員と共謀のうえ、昭和二十九年十二月九日午前四時三十分過ぎ頃、小郡駅構内宇部線ホームにある休養室において、同日午前五時五十分の電車転線のための作業をひかえて待機中の、国鉄職員山下武一(転てつ手)を、その勤務からしいて離脱させるため、被告人石川俊彦において、吉本英義外十数名の行動隊員を指揮して、同室に不法に侵入したものである。

というのである。

ところが、山下武一の検察官に対する供述調書によれば、同人が前示公訴事実掲記の日時休養室において寝ていたところ、前示行動隊員が十名位やつて来て、窓から手を入れて同人の左手をつかみ外に出るように要求した。その後戸を開けたとたんに、二人の行動隊員に手をとられ、外に引つ張り出されたところを、いきなり両腕を組み、外にいた行動隊員がとり巻き、後から押したり引つ張つたりして連行された、旨の供述記載があるが、行動隊員が同休養室に侵入した点は認められず、他にこれを認めるに足る証拠は見当らないのである。以上により、右被告人らに対する建造物侵入の点は、結局犯罪の証明がないことに帰するので、無罪の言渡しをする次第である。

二、(公務執行妨害)被告人枝村要作、同井本丈夫、同石川俊彦、同原田忠重、同高井作雄に対する昭和三十年二月十三日付起訴状公訴事実第二掲記の公務執行妨害被告事件の公訴事実の要旨は

同月八日午前九時より翌九日午前九時までの間小郡駅構内二番ホームに設けてある車号掛詰所に配置され、その間同駅構内において引き続き多数列車の点検、列車編成、入換え、組成計画およびこれに伴う各種報告書ならびに通知書作成等の任務を担当して車号掛詰所に在つた、国鉄職員岡本馨(車号掛)同藤井寿雄(同)同金子公允(同)同田中豊一(同)同河村昭典(同)同坪郷敏男(同)同斉藤和郎(同)同近本勇(同)をして、それら従業中の勤務より、しいて離脱させるため、被告人等は共謀のうえ、同日午前四時三十分過ぎ頃被告人原田忠重において、外数十名の行動隊員を引率指揮して前記車号掛詰所に不法に侵入のうえ、前記勤務員等に対し「今から行動を起す、すぐに外に出てくれ。」と申し向け、あるいは無言のまま引き起して前後左右を取り巻き、これに反抗すれば如何なる危害を加えかねないような気勢を示し、あるいは両腕を取つて引き出し、あるいは背後より突き出し、もしくは書類作成のために所持しているペンをもぎ取る等の暴行脅迫を加えて、同室より引き出し、これをそのまま同所から同駅東北第四鉄道寮付近まで連行し、ついで被告人原田忠重、同高井作雄はそれぞれ多数の行動隊員を指揮して、河村昭典、田中豊一、坪郷敏男、近本勇を同所からしいて自動車に乗せ、吉敷郡大内村および山口市方面に、また石川頼治外多数の行動隊員をして岡本馨、藤井寿雄、金子公允、斉藤和郎を同様しいて自動車に乗せ、防府市および山口市方面にそれぞれ連行し、いずれも同日午後七時過ぎまでその任務に復帰させず、前記各職員の職務執行を不能にし、もつて各公務の執行を妨害したものである。

というのであるが、右公訴事実中国鉄職員河村昭典を除くその余のものに対する公務執行妨害の事実は、所掲の証拠によつて、判示第三の二、記載のとおり、これを認定することができるのであるが、右河村昭典に対する被告人等の公務執行妨害の点は、これを認めるに足る証拠がないのである。すなわち、第十八回公判(昭和三十一年二月十四日付)調書中証人河村昭典の供述部分によると、同人が車号室において、ストーブのあたりで雑談していると、午前四時三十分頃組合の行動隊員二、三十人位が、同室内に入つて来て、同人に対し出てくれと言つた。そこで同人は三割賜暇闘争をやることは知つていたので、仕事もあるがと思つたが、組合が責任を持つというのだから、当局にも話してあると思つて外へ出た。そのとき行動隊のものから、手を引つ張られたり、腕を組まれたり、あるいはスクラムを組んで連れ出されたものでなく、同人が任意に出たものであつて、強制的に連れ出されたものではない。同人が警察署や検察庁において、無理に行動隊員に引つ張り出されたと供述したことはない等の趣旨の供述記載があり、同人は公判廷において、自発的に車号室を出て行動隊の指示に従つて行動した旨供述しているのである。しかるに検察官から刑事訴訟法第三百二十八条の書面として、同人の右供述の証明力を争うため提出された、同人の昭和二十九年十二月十一日付検察事務官に対する供述調書によると、「午前四時半頃室外が騒がしくなつたとおもうと、ピケ隊員四、五十名がどやどやとはいつて来て、私達勤務員に向つて、中の四、五名が「仕事を止めて出てくれ。」と口口に言うので、仕方なく言われるままに制帽をかぶらずに室をでました。寝ていた四人も起されて私達のあとから全員出て行きましたが、私の場合最初何処に連れられて行くのだらうか、不安で内心落ち着かず、と言つて彼らのいう事をきかず拒否でもしたらどんなひどい目に合うか知れない複雑な気持でした。」との供述記載があり、前記公判廷における供述と矛盾する供述をしているのである。前記公判廷における供述と右検察事務官に対する供述とを対比して考察するときは、同人の公判廷における供述内容を全面的に措信することは困難であつて、同人が全く任意的に組合の行動隊と行を共にしたものであると認めるわけには行かない。しかしながら同人の右検察事務官に対する供述調書の供述内容がかりに信用できるものであるとしても、これをもつて被告人らを有罪とする証拠として採用することはできないのである。そうすると被告人らの右河村に対する公務執行妨害罪の成立は、これを全く否定することができないのであるが、これを認めるに足る立証がないので、結局犯罪の証明がないことに帰するのである。ところで右無罪部分と判示第三の二、において認定した、被告人らの岡本馨外六名に対する公務執行妨害とは、いわゆる観念的競合の関係にあり、科刑上の一罪の一部分に関するものであるから、この点につき主文において無罪の言渡しをしない。

(以上説示の各無罪の点中罪とならない部分については刑事訴訟法第三百三十六条前段、犯罪の証明のない部分については同条後段を適用した。)

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 永見真人 竹村寿 安田実)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例